キリムの店*キリムアートアトリエ |
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fc247 カルス・キリム |
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| 産地 | カルス KARS KILIM |
| 年代 | 1920年頃 |
| 大きさ | 176*128cm |
| 価格 | 250,000円 |
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カルスのお祈り用キリム。 長くアルメニア王国の首都だったカルスは、今も国境を接し、その遺構を今も色濃く残すのがアニ遺跡。 (※アニとはアルメニアの意味) ただ、このキリムが制作された当時のカルスはロシア帝国領であり、カルスのイスラム教徒はオスマン帝国内のエルズルムなどの都市に逃れていました。 ウィキペディアによると、1878年から1881年の間に、かつてオスマン帝国が支配していた領土から82,000人以上のイスラム教徒がオスマン帝国内に移り住み、このうちカルスからは11,000人以上移り住んだそう。 ロシアの国勢調査によると、1897年のカルスにはアルメニア人が49.7%、ロシア人が26.3%、ギリシャ系が11.7%、ポーランド人が5.3%、トルコ人が3.8%。 カルスがトルコ領となるのは、1921年10月に締結されるカルス条約から。 前述の通り、このキリスト教徒が支配する土地、しかも仇敵のアルメニア人が大多数を占める中でイスラム教徒がお祈り用のキリムを制作し、家の中に飾る事は敵対行為にも等しく、移住したエルズルムにてカルス伝統を受け継いでこのキリムを制作したと思われます。 つまり、このキリムの制作者は生まれる前からエルズルムに住んでいたと考えられ、地元の文化との融合が進み、このキリムはボーダー部と色合いのみがカルス、経糸のブラウンウールや房の編み込みといい、他はエルズルムの様式で織られています。 このミフラブ模様も一番有名なクズルキリセのデザインをカルス風にアレンジしたもの。 年代について、このキリムを手に取った時、キリム全体がくたっとこなれており、100年近い年月が経過していると感じました。 フィールドの右隅に目をやると、年号が入っているのに気が付き、テヘランの友人に読み取って貰うと、1320と見て取れるそう。 ただし、「3」については判別が困難だと。 これを西暦に直すと1903年位になりますが、120年が経過しているキリムではありません。 熟慮の末、西暦で織り込まれていたと仮定して、あの判別不能の数字に「9」を当てはめれば1920年が導き出されます。 この数字を導き出した理由が、前述のカルス条約。 実は、1920年はトルコ×アルメニア戦争でトルコがカルスを奪還した年、カルスの人達にとっては悲願の適った年です。 つまりこのキリムは戦勝記念として制作されたものという訳です。 勿論、制作された年は多少ずれるかもしれませんが、時代背景なども含めて、ほぼ1920年頃と言う結論になりました。 また、年号を織り込むのはアルメニアから伝わった文化の一つ、クルド系のカルスにはほぼ皆無なのに対して、アルメニアキリムには数多く、エルズルムにも頻繁によく見られる特徴です。 アルメニアの支配力は失せても、こうして、キリムの中にその影響が残っているのが面白いです。 デザイン上の一番の特徴はボーダー模様、他に見た事がありません。 カルスと言えば羊の角、エルズルムではドラゴンやベレケットですが、これはそのどちらにも属しません。 斜線の中に細い目があるので、魔よけの意味合いなのでしょう。 メインのフィールドとその背面はお祈り用らしく装飾は控え目。 命の源である生命の木のみが神々しく、神様の下に導いてくれるように願った物と思われます。 無地の部分はブロック毎に織り進んでスリットを入れてあるので、色むら加減が良く分かります。 これもどちらかと言えばエルズルムに多い手法です。 また、このキリムの左右の上の端に簡単なループが付いていて、壁飾りとして使われていたお陰でこの素晴らしいコンディションを保つ事が出来ました。 経糸の切れを修理した際、キリム内側の糸が表に出て、色が濃い所がありますが、修理糸ではなく、オリジナルの糸です。 |
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